土曜日の有意義な過ごし方。

授業に出て、後輩であり、妹でもあるYと、雑貨屋巡りとゆう名のお散歩を(?)しました。
下北に行きました。
すごくすごく、いろんな深い深い話をたくさんしました。
あんなに一気に喋るつもりはなかったんだけど、自分でも気づかないほどにストレスは溜まっていたようです。
ごめんね^^;
でもすごく嬉しかったです。
ただ黙って聞いてくれること
きちんと受け入れてからアドバイスしてくれること
こうゆう人間関係って、作れるようでなかなか作れない、作れているようで作れていないような気がする。
ふざけて楽しんで、笑い合えるともだちももちろん必要だし、そうゆうともだちがいることも、すごく嬉しい。
でも、何でもゆえるともだち、躊躇いもなく泣けるともだちがいるって、誇りに思っていいと思った。
本音で話せる人がいるって、しあわせだと思う。
きれいな部分も、汚い部分も、全部オープンにしたって関係は崩れない。
良いとこも悪いとこも、全部受け入れられるって、なかなか出来ない。
それを指摘することもなかなか出来ない。
だけど、あたしの周りには、それが出来る人が、ひとりではなく、たくさんいることに気付いた。
今まであまり意識していなかったのかもしれない。
ひとりいれば十分だと思ってた。
なのにあたしの周りにはたくさんいた。
感謝するってことばでゆうのは簡単だから、あたしもそうゆう行動で示していけたらいいと思う。
ありがとう。


人は、自分を満足させたいがために、愚痴をゆったり文句をゆったりするのだと思う。
ただ、同意を求めているだけなんじゃないかと思う。
そう考えるようになったから(少しは愚痴とかゆってたかもしれないけど)、あたしは最近異様なまでも溜め込んでいたように思う。
それも無意識のうちに。
ゆっても誰もいい気持ちがしないし、何のメリットもないと思ってたから。
だから、心許せるともだちを前にして、さわり程度に話すつもりが、崩れるようにして次から次へとことばが出てきたんだな。
自分の中だけで処理しようとしていたから壊れかけてた。波が激しかった。
話せる人がいるんだから、甘えてみてもいいのかと思う。
素直になることが、こんなにも自分を浄化出来るものなんだって、今日初めて知った。
一人で考えてたって何の解決にもならない。
話しても解決しないって思うこともあるけど、全然そんなことない。
解決しなくたって整理はつく。
そこから見えるものが何かしらあるはず。


何がゆいたいのかよくわかんなくなってきたけど、とにかく今日は、意味のある一日で、大切な一日になりました。